弁護士
本橋 光一郎
この判例の事案を簡潔に紹介しましょう。
(1) 被相続人Aは、平成20年10月、Aの甥であるX1に対し、財産全部を包括して遺贈する旨および司法書士Yを遺言執行者として定める旨の公正証書遺言を作成しました。
(2) Aには養子としてBがおり、BがAにとって唯一の法定相続人でした。
(3) Aは平成28年3月に死亡し、養子Bの代理人弁護士は遺言執行者Yに対し遺言無効確認を求める手続を検討しており、遺留分減殺請求もするので紛争解決まで遺言執行を留保するよう通知しました。
(4) またX1の代理人のX2弁護士もYに対し移転登記手続を止めるように求める旨の通知をしました。
(5) しかし、Yは、Yが所持していたX1名義の印章を用いてX1名義の委任状を作成し不動産について遺贈によるX1への所有権移転登記手続を行いました。そして、登記に要した登録免許税は遺産の中より支出しました。
(6) また、Yは、X1名義の印章を用いて、X1がAの全財産を相続したとする相続税申告書を提出し、Aの遺産の中より拠出して相続税の支払も行いました。
(7) その後、X1とB間で遺留分等に関する協議が成立し、不動産はBが取得する、Bはその代償金をX1に支払う、現預金はX1とBが各2分の1宛取得する、BがYに対して有する不法行為損害賠償金はX1に債権譲渡する旨の合意をしました。不動産については、Bを登記権利者とする相続登記手続を行い、相続税については、X1とBが上記合意のとおり相続等により取得したとの申告を税理士に依頼してやり直しました。
(8) そして、X1は、Yに対し、違法な遺言執行による不法行為の損害賠償としてYが支出した移転登記に要した登録免許税額及びやり直しの相続税申告のため税理士に支出した費用並びに訴訟に要した弁護士費用の支払を求めました。なお、Yは本件に関連して、X2に対し弁護士会への懲戒請求申立、刑事告訴を行っていたため、X2はYに対し、それらが不法行為にあたるとして損害賠償請求をしましたが、この請求部分については、相続法による論点ではないため本稿では省略いたします。
一審の山口地裁は、Yが遺言執行として行った移転登記手続及び遺言執行に関連して行った相続税申告は、不法行為にあたるとして、移転登記関係分としてYが支出した登録免許税相当の7万7900円、相続税申告関係分として、やり直し申告のため税理士に支払った78万5700円計86万3600円の損害が生じているが、X1はこれにつき遺言執行者の報酬50万9000円と対当額で相殺する旨を訴状において行っているとして、Yに対しその残額35万4600円と弁護士費用3万5400円計39万円をX1へ支払うよう命じました。
しかし、控訴審の広島高裁は、次のように述べて原判決を取り消し、X1の請求を棄却しました。
(1) 遺留分権利者や受遺者の意向、執行の方法等の事情に照らし、遺言執行者が、遺留分権利者や受遺者の利益を不当に侵害し、社会的相当性を逸脱するような執行を行ったときは、遺言執行者としての注意義務に違反した違法な職務行為として、遺留分権利者や受遺者に対する不法行為を構成するというべきである。
(2) Yが、登記権利者であるX₁に登記手続をする意思がないにもかかわらず、これがあるものと偽って勝手に「X₁」という印章を冒捺して当該申請をしたことに照らすと、Yによる本件移転登記の申請は、受遺者であるX₁の利益を不当に侵害し、社会的相当性を逸脱するものと認めるのが相当である。そうすると、同行為は、少なくともX₁に対する違法性を有する行為(民法709条)に当るというべきである。
(3) Bが遺留分減殺請求をした場合に本件不動産につき本件取扱いと同様にBに対する直接の所有権移転登記をすることができなかった可能性を否定することはできないこと、Bとの関係では、X₁との関係と異なり、違法な手段を用いるなどしたこともないことに照らすと、本件移転登記は、Bとの関係では、その利益を不当に侵害し、社会的相当性を逸脱するような行為であるとまではいえないから、Bに対する不法行為を構成するとは認められない。
(4) 以上によれば、X₁には、本件移転登記に係る不法行為について、X₁に対する移転登記に要した登録免許税7万7900円のうちX₁の持分2分の1に相当する3万8950円とそれに対応する弁護士費用相当額1万円の合計額である4万8950円の限度で損害賠償請債権が認められる。しかし、X₁の本訴請求は、同債権とYの遺言執行者報酬債権50万9000円とを相殺した残額を請求するものであるから、結局、X₁の請求には、理由がない。
(5) YがX₁から委任を受けることなく、X₁名義を冒用して行った本件税務申告等は、X₁に対する不法行為を構成するというべきである。
(6) しかし、X₁及びBが税理士に委任して行なった相続税申告は相続税申告期限内における申告手続の委任であるところ、同申告手続は、本件税務申告等に係る不法行為がなくても、しなければならなかったものである。そして、Aの相続に係る相続税の申告書の再提出については、本件税務申告等がなされたことによりその内容が税理士に委任しなければすることができない程度に複雑なものとなったとか、そのために報酬額が増大したとの事情があるとはうかがわれない。そうすると、上記の税理士報酬は、Yによる本件税務申告等と相当因果関係のある損害に当たるということはできない。
したがって、Yに、本件税務申告等をしたことについて、X₁に対する不法行為に基づく損害賠償責任があるとは認められない。
(7) Yが本件税務申告等をしたことについて、Bに対する関係でも、不法行為に基づく損害賠償責任があるとは認められない。
(8) したがって、X₁からYに対する請求については、X₁に生じた損害及びBに生じた損害についての損害賠償を含めて、いずれも理由がないから、原判決を取り消したうえ、その請求を棄却する。
(注) 本件高裁判決中において遺言執行者Yがした所有権移転登記手続は、違法な遺言執行として不法行為にあたり、その損害賠償額(4万8950円)も少ないながら認められているのですが、X₁がYの遺言執行報酬金(50万9000円)と相殺する旨、訴状で述べていたため、結局のところ損害賠償金4万8950円はその報酬金50万9000円の範囲内に止まるとして、当該損害賠償請求は、訴訟上、認められず、結論としてはX₁の請求は棄却となったものです。
(1) 本件判決は、遺留分権利者や受遺者の意向、執行の方法等の事情に照らし、遺留分権利者や受遺者の利益を不当に侵害し、社会的相当性を逸脱するような執行を行なったときは、上記注意義務に違反した違法な職務行為として遺留分権利者や受遺者に対する不法行為を構成する」という基本的な原則を述べている。
そして、「社会的相当性を逸脱するような執行を行なったときは、不法行為を構成する」としていることは、注目に値します。
(2) 本件において、遺言執行者Yは、受遺者X₁の意向に反し、Yが所持していた「X₁」という印章を用いて、土地のX₁に対する所有権移転登記手続を行なったものであり、仮に、Yとしては、唯一の法定相続人Bによって、土地に単独相続登記がなされてしまうことをおそれたものであるとしても、YがX₁名義の印章を冒用して、X₁への登記申請手続を行なうことは、社会一般において許容されるものではなく、「社会的相当性を逸脱した執行」といえる。その意味で、X₁に対する不法行為の成立を認めたのは、妥当です。
(3) 遺留分権利者に対する移転登記としては、受遺者への移転登記がなされた後に、受遺者から遺留分権利者へ遺留分減殺を登記原因として、減殺分につき移転登記を行なうことも本来的な登記のやり方であって、必ずしも受遺者への移転登記がなされたこと自体が直ちに遺留分権利者に対する権利侵害となるとはいえません。
本件においては、Bとの関係で、違法な手段を用いて移転登記がなされたともいえないこと等により、Yの本件移転登記は、Bの意向に反するものであったとしても、Bに対する不法行為が成立するとまでは認めなかったものであり、本件判決は、妥当なものと考えます。
(4) 本件判決は、「Yは、X₁名義を冒用して、相続税申告を行なっており、社会的相当性を欠くとして、不法行為を構成するがX₁及びBがあらためて行なった相続税申告は、本来X₁及びBがしなければならなかった相続税申告をしただけであって、その内容、複雑性等を考慮して必ずしも税理士に依頼しなければできないものではないとして、税理士費用相当の損害額は発生していない」として、不法行為による損害を認めませんでした。実務上の感覚としては、税理士に頼んで相続税申告を行なうことは通常ありうるものであり、その損害額の発生をある程度認めてはどうかとも考えます。
本件判決は、平成30年相続法改正以前に生じた案件についてのものであり、平成30年相続法改正により、遺言執行者の地位・権限の明確化、遺留分権利者の権利が遺留分減殺請求権から遺留分侵害額請求権への変容等がなされています。
本件判決が示した遺言執行が受遺者に対する不法行為になるのかについての判断基準は、基本的に相続法改正後の今後も相当として維持されると考えます。なお、遺留分権利者たる法定相続人に対して不法行為となるかの判断については、相続法改正以前は、遺留分減殺請求権が物権的効力をもつとされていたため、遺留分権利者は、減殺された範囲内において所有権等の物権を保有しているとされていたため違法な遺言執行がなされた場合、遺留分権利者がもつ所有権等の物権を侵害したこととなり、不法行為の成立が比較的容易に認められてきました。
しかし、改正法により、遺留分権利者は、遺留分請求として、遺留分を侵害している者に対し遺留分侵害額の金銭支払を求める権利(債権)を有するとされたため、遺言執行による遺留分権利者に対する不法行為が成立する余地がきわめて少なくなったと言えます。すなわち、基本的に遺留分権利者は、遺言執行者による遺言執行がなされた後に(事後的に)、遺留分を侵害する者に対して金銭支払を請求して解決を図れば良いと考えられるからです。