弁護士
篠田 大地
遺産分割調停事件の中で、相続財産を把握するための資料として、相続税申告書が提出されることは多くあります。
ただ、遺産内容をよく把握する一方の相続人がこれを裁判所に提出しないため、他方相続人が遺産の把握に困難をきたすということもあります。
このような場合において、税務署長(国)に対して文書提出命令を申し立てることによって、相続税申告書の開示を受けられるでしょうか。
この点に関する裁判例を以下でご紹介いたします。
① 被相続人は、大正4年に出生し、昭和11年に夫と婚姻を届け出て、昭和12年に申立人を、昭和18年に基本事件相手方をもうけた。
② 被相続人の夫は、昭和61年に死亡し、被相続人、申立人及び基本事件相手方は、遺産分割協議をした。
③ 被相続人は、平成25年に死亡した。
④ 相手方から被相続人に関する相続税の申告について依頼を受けた税理士は、平成26年頃、申立人に対し、相続税の申告は基本的に相続人全員が連帯して一冊の申告書を作成して行うこと、相続人間で選任された代表者と委任契約書を作成したいこと、「被相続人の申告納税地であるD税務署であることから」基本事件相手方を相続人の代表者として選任して頂きたいことなどを記載し、そのために必要な委任状への署名押印を求める書面を送付したが、その際、遺産の目録や相続税の申告書案を送付することはなかった。
⑤ 申立人は、被相続人の相続手続について委任した弁護士を通じて、基本事件相手方及び税理士に対し、遺産の目録及び相続税の申告書案の送付を求めた。
⑥ 税理士は、申立人代理人に対し、申立人からは委任を受けていないなどとして、相続税の申告書案等の送付に応じることはできないと回答した。
⑦ 申立人代理人は、税理士に対し、遺産の目録及び相続税の申告書案の送付を重ねて求めたが、税理士が遺産目録等を送付することはなかった。
⑧ 申立人と相手方は、それぞれ個別に相続税の申告書を提出した。
⑨ 申立人は、鹿児島家庭裁判所に対し、被相続人の父の遺産分割協議において被相続人の母が取得した財産の一部(土地2筆及び建物4棟)を遺産目録に記載し、遺産は遺産目録のほかにもあるが申立人は把握していないとして、遺産分割調停申立事件(基本事件)を申し立てた。
⑩ 基本事件相手方は、平成27年、鹿児島家庭裁判所に対し、遺産は遺産目録に記載されたとおりかどうかという照会事項に対し、調査中などと記載した回答書を提出した。
⑪基本事件の第1回期日において、申立人は、基本事件相手方に対し、相続税の申告書の控えや遺産の目録の開示を求めたが、基本事件相手方は検討するなどとして開示に応じなかった。
⑫申立人は、文書の所持者をD税務署(被申立人)として、相続税の申告書につき文書送付の嘱託を申し立てた。
⑬基本事件の第二回期日において、基本事件相手方は、相続税の申告書の控えの開示には応じないと述べた。
⑭裁判所は、送付嘱託を採用し、D税務署に対し嘱託をしたが、D税務署長は、国家公務員法100条及び国税通則法126条により守秘義務が課されており回答できないと回答した。
⑮申立人は、D税務署を被申立人として文書提出命令申立てをした。
⑯基本事件の第3回期日においても、基本事件相手方は、相続税の申告書の控えを開示しなかった。
原決定を取り消し、申立てを却下
行政庁が現実に保管する文書の所持者については、行政庁は特別の規定がない限り法主体性を認められないのが原則であり(行政事件訴訟法11条各項参照)、民事訴訟法220条4号ニ括弧書きには「国又は地方公共団体が所持する文書にあっては」と国又は地方公共団体が所持者であることを前提とする規定が置かれていることからすると、国又は地方公共団体と解するのが相当である。
民事訴訟法220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密」には、公務員の所掌事務に属する秘密だけでなく、公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密であって、それが基本事件において公にされることにより、私人との信頼関係が損なわれ、公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるものも含まれると解すべきである。
本件文書は、相続税申告書及びその添付書類であり、被相続人の遺産並びに申告者が相続し又は遺贈を受けた財産の具体的内容及びその評価額や申告者の親族関係等の秘密にわたる事項が記載されているのであるから、公務員が職務を遂行する上で知ることができた私人の秘密が記載されたものであって、これが公にされることにより、申告者との信頼関係が損なわれ、申告納税方式による税の徴収という公務の公正かつ円滑な運営に支障を来すこととなるということができるから、本件文書は、民事訴訟法220条4号ロにいう「公務員の職務上の秘密に関する文書」に該当する。
本件文書は、被相続人の遺産並びに申告者が相続し又は遺贈を受けた財産の具体的内容及びその評価額や申告者の親族関係等の秘密にわたる事項が記載されているものではあるが、その提出が求められている基本事件は、当該相続税申告に係る被相続人の相続人間における遺産分割調停事件であって、その手続は公開されず(家事事件手続法33条)、記録の閲覧等についても利害関係を疎明した第三者のみならず当事者についても裁判所の許可を要するものとされている。
他方で、相続税は、相続又は遺贈により財産を取得した全ての者がそれぞれその納税義務者として申告書の提出義務を負うものであるが、積極財産及び消極財産(債務)を含む被相続人の全財産(遺産)をもれなく正確に申告することが適正な相続税課税の前提とされているのであって、被相続人の遺産の申告内容について各相続人間にそごが生ずることは制度上予定されていない。
しかしながら、遺産分割調停において、遺産の内容や範囲等について相続人間に紛争が存する場合に、感情的対立等から、申告内容に含まれる情報の対立当事者による悪用のおそれ等を理由に、相続人が自己の相続税の申告内容を他の共同相続人等に開示することを拒むこともまれではない。
このような場合において、相続税申告書及びその添付書類を当該遺産分割調停事件に提出することにより、申告者との信頼関係が損なわれることは明らかである。
そもそも、申告納税制度は、納税者が自ら課税標準及び税額を計算し自主的に申告して納税する制度であって、納税者の自主的かつ誠実な申告を前提に組み立てられている制度である。そうであるところ、納税者の自主的かつ誠実な申告にとって、納税者と税務当局との間の信頼関係の確保が不可欠であり、このような観点から、税務職員には、国家公務員法100条、109条12号による守秘義務に加えて、国税通則法126条により、より重い守秘義務を課すなどして、申告納税制度の適切かつ円滑な運用を担保しているのである。そして、申告納税方式が相続税のみならず所得税、法人税、消費税等の主要な国税において採用され、これらの税目が国の諸活動の基本となる税収の主要部分を構成していることにも鑑みると、遺産分割調停事件における共同相続人に対する当該遺産に係る相続税の申告書及びその添付資料であっても、申告者の意に反して当該申告書等を提出することが認められた場合には、税務行政に対する納税者の信頼が損なわれ、納税者の自主性を前提に組み立てられている申告納税方式による国税の適正な徴収の円滑な遂行に著しい支障を生ずることは明らかというべきであり、このような支障は、税務職員に付与された調査権の行使や、加算税制度ないしは罰則の規定等によっては到底担保し切れるものではないというべきである。
そうであるとすれば、本件のような遺産分割調停事件における相続税申告書及びその添付書類の提出が、被相続人の遺産の全貌を明らかにし、調停手続を円滑かつ迅速に進める上でその必要性が認められ、ひいては適正な遺産分割の実現による紛争の解決に資するところがあることなどを考慮しても、本件文書のような相続税申告書及びその添付書類は、その記載内容からみて、その提出により公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれの存在することが具体的に認められ、民事訴訟法220条4号ロに該当するというべきである。
被申立人は、文書を当裁判所に提出せよ。
文書の提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるというためには、単に文書の性格から公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずる抽象的なおそれがあることが認められるだけでは足りず、文書の記載内容からみてそのおそれの存在することが具体的に認められることが必要であると解すべきである。
したがって、被申立人が主張するとおり、申告納税制度の下では、申告内容が公開されることはないという納税者の税務当局に対する信頼が税務行政の適正な執行のために極めて重要であることは、一般論としては異論のないところであるが、それだけでは足りず、本件の事実関係の下で文書の提出を命ずることにより、公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生じる具体的なおそれが認められるかどうかを検討する必要がある。
これを本件についてみると、〈1〉もともと基本事件相手方が申立人に対し相続税の申告書を共同で提出することを提案しており、その時点で申告の前提となる遺産の目録等が申立人に開示されているのが自然であったといえること、〈2〉ところが、基本事件相手方は遺産の目録等の開示を拒絶し、個別に申告書を提出した上、遺産の目録等を今日に至るまで開示していないこと、〈3〉基本事件相手方は、相続税の申告書の控えを開示しない理由について、拒否する特別の理由はない、相続の発生までの時系列の中身の検討を優先すべきなどと述べているが、基本事件は遺産分割事件であり、被相続人の生前の生活の状況や相続人間の協議の状況等をすべて詳らかにする必要があるとはいい難く、また、分割すべき遺産の範囲を明らかにすることは協議の出発点であって、開示を拒否していることに合理的な理由があるとは認められないこと、〈4〉基本事件は家事調停事件であるから、その手続は非公開であり(家事事件手続法33条)、記録の閲覧や謄写等には第三者はもちろん当事者であっても裁判所の許可が必要とされていること(同法254条3項)、〈5〉調停が成立しないものとして事件が終了し、同法272条4項により家事審判の申立てがあったものとみなされる場合でも、本件の一件記録が当然に家事審判事件の記録の一部となるわけではなく、本件の一件記録のうちどの範囲まで事実の調査をするかは裁判所の判断によること、〈6〉家事審判事件の記録についても、第三者による閲覧等には裁判所の許可が必要とされており、当事者による閲覧等についても、裁判所は、事件の性質、審理の状況、記録の内容等に照らして不適当とする特別の事情があると認めるときは閲覧等を許可しないことができること(同法47条5項、4項)などの事情を指摘することができる。
このような事実関係の下では、相続税の申告書を家庭裁判所に提出するよう命じたとしても、申告内容がたやすく公開されることはないという納税者の税務当局に対する信頼が失われ、納税者が真実を開示することが困難になり、その結果、公共の利益が害され、又は公務の遂行に重大な支障を生ずる具体的なおそれがあるとまで認めることはできないというべきである。
本決定は、相続税の申告書に関し、民訴法220条4号ロの該当性を検討し、結論として、同号に該当することを認め、文書提出命令の申立てを却下している。
民訴法220条4号は、文書提出の一般提出義務を定めたものであるが、除外自由を定めており、ロの「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」もそのひとつである。
このロの解釈に関する判例として、最決平成17年10月14日があり、以下のように述べている。
「文書の記載内容が「公務員の職務上の秘密」に当たるというためには、単に非公知の事項であるというだけでなく、実質的にも秘密として保護するに値すると認められることが必要であり、また、「公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがある」というためには、それが公開されることにより公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれが具体的に存在しなければならないと解される。」。
本決定、原決定、いずれも上記解釈を前提に、判断したものと考えられる。
ただ、本決定、原決定では、「公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがある」と言えるかに関しては、意見が異なっており、これが結論をも左右している。
本決定では、申告書等を提出することが認められた場合の、税務行政に対する納税者の信頼が損なわれることが重視されている一方、原決定では、相続税の申告書を家庭裁判所に提出するよう命じたとしても、申告内容がたやすく公開されることはないことが重視されている。
我々のように、相続人の代理人を務めることが多い立場からすると、一方の相続人が、被相続人と縁遠かったなどの理由で、遺産の範囲が分からないという場面はよく遭遇する。このような場合に、他方当事者が税務署に提出する相続税申告書は、遺産の範囲が正確に記されたものであり、遺産の範囲の確定にあっては、ぜひとも開示してほしい文書である。
そして、遺産分割をしようという場合に、遺産の範囲に関してはなるべく全面的に開示されることが、公正で円満な遺産分割につながると考えられるが、他方当事者がこれを拒否して、相続税申告書を提出しないというのも、あまり合理的な対応とも思われない。
また、本決定は、納税者の信頼を理由としているが、相続税申告書を提出すると、他方相続人に明らかになってしまうという理由で、税務行政に対する信頼を損ね、相続税申告書を提出しない、などということはあまり考えられず、公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれが具体的に存在するとも言えないように思われる。
以上からすると、原決定のように、相続税申告書の提出を認めてもよかったように思われる。